ハワイの歴史を勉強しましょう

ハワイの歴史を勉強しましょう

ハワイファンの方々に、少しでもハワイの歴史を知って頂こうと思います。

ハワイは、元々ハワイ王国でした。米国の一部になってまだ125年しか経っていません。その経緯と、その式典に関する情報をご案内します。

先日、1月17日に、ハワイ王国転覆 125周年の式典がイオラニ宮殿で執り行われました。

オニパア・カコウ(Onipa’a kākou)と呼ばれるこの式典は「アロハ・オエ」などの作曲でも高名な、ハワイ王国最後の女王リリウオカラニを偲び、ハワイの先住民とその文化に対する差別などの問題を地域社会に提起することを目的に毎年行われています。
カコウとはハワイ語で「全ての私たち」という意味です。


「毅然(きぜん)」を意味するオニパアはリリウオカラニ女王の座右の銘でした。

リリウオカラニは 1891年に即位すると、米国への併合を目指す共和制派との対決姿勢を強めた女王でした。前カラカウア王の時代に、アメリカの宣教師の末裔、ロリン・サーストンらが起草した憲法が、共和制派のクーデターにより制定されていました。強制的に承認させたという意味で「ベイオネット憲法(銃剣憲法)」と呼ばれるこの憲法は、収入や資産などの基準を投票権に用いた為、貧しい人々、主にアジア系移民や多くのハワイ先住民は選挙権を剥奪されました。同時に、サトウキビ農場で経済力をつけた白人農場主を中心とした、富裕層の欧米系移民の政治的発言力が強まっていきました。

ご存知のように、今となっては、サトウキビの農場もかなり少なくなってしまっています。

リリウオカラニとサーストンはこの憲法の廃止と存続をめぐって対立し、1893年1月16日、サーストンを保護する名目で米国海兵隊がホノルルに上陸、イオラニ宮殿を包囲しました。翌朝 10時45分、共和制派は宮殿を占拠し、ハワイの旗を降ろして米国旗を掲げ、王政廃止と臨時政府樹立を宣言しました。


リリウオカラニは「生命の喪失となることを何としても回避せんがため」と国民に武力抗争を禁じ、自ら退位してイオラニ宮殿に幽閉されました。こうしてハワイ王国 100年の歴史は幕を閉じたのです。

小雨の降る 125年後のこの朝、数千人のハワイ先住民が黒い服装でホノルルの通りを行進しました。

イオラニ宮殿から 4キロほど離れたマウナ通りのロイヤル・モザリアムを朝の 9時すぎに出発し、10時半には皆イオラニ宮殿に到着していました。ロイヤル・モザリアムはハワイ王家の霊廟で、歴代の王と共にリリウオカラニ女王が眠っています。

10時45分、イオラニ宮殿から米国旗が降ろされ、ハワイ王国の旗が掲げられました。

南国のハワイには、このような歴史があったということを、頭の片隅に入れておいて頂けたら幸いです。

 

Takashi Nakayama

くじら倶楽部 代表 中山孝志。千葉県柏市出身、ハワイ在住歴22年。大学在学中にオーストラリアへ1年留学、大学卒業後、日本リロケーションの駐在員として渡米。ニューヨークにて3年間在住した後、ハワイの現地不動産子会社の責任者として4年勤務。2000年より、ヒルトン グランド バケーションズ クラブのハワイ立ち上げスタッフとして入社後、国際販売部の責任者として約10年勤務。タイムシェア開発・販売のコンサルティングに長年携わってきた、ハワイのタイムシェア業界のエキスパート。→プロフィールの詳細

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